古事記・日本書紀に登場する榊
鎌倉時代の法典 御成敗式目(貞永式目)
第一条に
神者依人之敬增威、人者依神之德添運
神は人の敬いに依りてその威を増し 人は神の徳に依りて運を添う
(人は神の徳によって良くなっていく、神の威光が増せば増すほど良くなっていく、そして神が威光を増す為には人が神を敬うことが大切である)という内容の事が書かれています。
榊の枝葉には神様が宿るとされており、神様が宿られた榊のある神棚に向かって手を合わせる、神を敬い活かされていることに感謝する、祈れば祈るほど御神徳を頂戴できると言うことではないかと思います。
※枯れた榊では憑代とする神様にも失礼に当たりますので、活き活きとした榊を準備しましょう。
また毎日神棚に向かって手を合わせて自らの心を整えようとするなら、神棚も心を込めて綺麗にしましょう。
(伊藤龍涯筆・神宮微古館所蔵) <伊藤龍涯筆・神宮微古館所蔵>
天照大御神に出てきていただこうと天の岩戸を開こうとしたとき、
天の香具山の五百津真賢木を根こじにこじて、
上枝に八尺の勾璁の五百津の御すまるの玉を取り著け、中枝に八尺鏡を取りかけ、下枝に白和幣、
青和幣を取り垂でて、この種々の物は、
布刀玉命が神聖な御幣として捧げ持ったところから神様をお呼び出しになるときには榊をささげるようになった
ゆえに本榊(真榊)には神が宿るとされています。
( 出典 ) ( 表記 )
古事記 真賢木
天の香具山の五百津真賢木を根こじにこじて、上枝に八尺の勾璁の五百津の御すまるの玉を取り著け、中枝に八尺鏡を取りかけ、下枝に白和幣、青和幣を取り垂でて、この種々の物は、布刀玉命太御幣と取り持ちて
( 出典 ) ( 表記 )
日本書紀 真坂樹
天香山の具山の五百箇の真坂樹を掘じて
●参考資料 和泉晃一の草木のはなし
日本に、名は体を顕わすという言葉がある。「古事・俗信 ことわざ大事典」(小学館))によれば、「人間の名前・物の名称は、よくその物の実体・本性を現わすものである」の意とある。
いうなれば、日本の草木名は、そのものの本質的な特徴をよく言い現わしているというのである。
しかし、名前が直ちにその植物の本質と結びつくものではない。その名の語源・由来が明らかにされて後、はじめて本性がしられるのであり、それを収録したのが、上記「 草木名のはなし」である。
サカキに「賢木」の漢字が充てられる。これは皇祖神・天照大神の御霊代である神鏡をまつるところが賢所(カシコドコロ)と呼ばれることと同趣旨であろう。カシコ(賢)は、畏れおおい意で「神性・神」との関係をあらわす言葉。サカキ(賢木)とは広く神木をいい、神前に供えられる多くの常緑樹を指したのである。
「賢」は「賢所」の「賢」である。賢所は皇祖神アマテラスの御霊である神鏡を祀るところ。「賢」は「畏れおおい」の意で、神について用いられる語と知られる。これを言い換えれば、サカキは「賢木」で、「神性のそなわった木」すなわち「神木」の意と解される。
また「坂」は山の坂道のところをいう。山道は、上り坂をのぼりつめれば、かならず下り坂をくだるようになる。この上下の分岐するところがサカイ( 境 )である。サカキは神域の境界に植えられた木。本来は、外からの邪霊を防ぐために植えられた木(境木)の意であったが、後には神域すなわち聖地に植えられる木(神域木)の意に転じた。
